企業に所属する人材が、その企業の中長期的な発展を支える「資本」と認識する潮流は、日本にもおよび「人的資本の開示」が義務化されました。
いまや、企業の人的資本に対するアプローチは、投資家をはじめとしたステークホルダーにとって、その企業の価値や将来性を判断する重要な基準です。この流れは、現在義務化の対象外である中小企業にも、いずれ波及するでしょう。
本記事では、人的資本開示の概要と中小企業が取り組むメリット、開示に向けたポイントや課題を解説します。
目次
- 人的資本とは
- 人的資本開示が求められる背景
欧米における人的資本情報開示義務化の流れ
ESG投資への関心の高まり - 人的資本開示の義務化とは
人的資本開示の義務化はいつから?対象となる企業は? - 中小企業が人的資本開示を検討するメリット
大企業との取引先として選定される可能性が高まる
企業価値を高め人材確保によい影響をもたらす - 人的資本開示で要求される7分野19項目
人材育成
エンゲージメント
流動性
ダイバーシティ
健康・安全
労働慣行
コンプライアンス・倫理 - 人的資本情報開示に向け押さえるべきポイント
定量的なデータの収集
「独自性」と「比較可能性」のバランスの考慮
「価値向上」と「リスクマネジメント」の視点を盛り込む
ストーリー性のある開示情報で説得力をもたせる - 人的資本開示に向けての課題
人的資本開示に対する社内認知度の向上
人的資本情報収集のためのリソース確保
データ収集環境の整備
経営層と現場の意識のすりあわせ - 現場の意識を正しく把握することが欠かせない
Geppoなら開示資料に活用可能 - まとめ
人的資本とは
人的資本とは、人材を付加価値を生む源泉(資本)と考える概念です。人材に備わったスキルや技術、資格・才能などの特性は、その会社の財産であり企業価値を高める資本として捉えます。
これまで、投資は物的資本を対象にしたものが中心であり、人材はコスト(資源)とみなされ投資の対象にはなりにくいものでした。
しかし、近年では人材に対しても投資をおこない、その価値を高めることが企業成長に欠かせないとする考えが浸透しつつあります。
人的資本開示が求められる背景
近年、企業に対し人的資本開示を求める風潮が強くなっています。それには、企業価値の判断基準が「有形資産」から「無形資産」に移行しつつあることが背景にあります。
競争優位の状態を生み出し企業を発展させるのは、所属する人材の力という「無形資産」であるとする考えが浸透してきました。その結果、人的資本はステークホルダーへのアピール材料として捉えられ、開示を求める声が強くなったのです。
欧米における人的資本情報開示義務化の流れ
人的資本開示義務化の流れは2014年、サスティナビリティや環境問題に関心の高い欧州からはじまりました。
続いて、アメリカではリーマンショックに端を発した経済危機から、人的資本開示の流れが進み、上場企業を中心に2020年に義務化されました。
こうした流れを受けて、日本でも義務化への議論が活発化したのです。なかでも、国際標準化機構が2018年12月に公開したISO30414(人的資本に関する情報開示のガイドライン)も、拍車をかけた理由の1つといえるでしょう。
※ISO30414:人的資本開示における具体的な項目を定めたもの。組織に対する人材の貢献度を測り透明性を高めることを目的としている。
ESG投資への関心の高まり
投資家の企業価値判断基準が変化し、ESG投資への関心が高まったことも背景にあります。
ESG投資とは、「環境」「社会」「ガバナンス」を念頭に置いた投資を意味します。
かつて投資家は、財務状況を指針に企業価値を判断してきました。しかし、近年では財務状況だけでなく、ESG投資への取り組みが、企業価値向上や持続可能な経営の重要な要素と捉える傾向が強くなりました。
なかでも、ESGのS(社会)に深く関わる人材に対する企業の戦略が、投資家の高い関心事となっているため、開示を求める気運が高まったのです。
人的資本開示の義務化とは
人的資本の開示とは、発行する有価証券報告書に人材育成方針や社内環境整備の方針など、人材に関する取り組みや、企業の現状を記載し公表することです。
人的資本の情報を無形資産として開示し、ステークホルダー間の相互理解を深めることを目的としています。
人的資本開示の義務化はいつから?対象となる企業は?
日本での人的資本の開示は、令和5年度3月期決算から義務化されています。開示が求められる具体的な項目は以下のとおりです。
開示義務項目
- 従業員の状況(人材投資の費用、従業員の満足度など)
- 女性管理職比率
- 男性の育児休業取得率
- 男女間賃金格差
人的資本開示が義務化の対象は、金融商品取引法第24条で「有価証券報告書」を発行している約4,000社です。
大手企業が中心で、中小企業の義務化については、現状では発表されていません。
出典:金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令等改正の解説」
中小企業が人的資本開示を検討するメリット
現状は人的資本の開示が義務化されていない中小企業でも、将来的には義務化となる可能性が高いでしょう。いつか来る義務化に備え、いまから人的資本に対する認識を深めておきたいところです。
人的資本に対する認識を深めるのは、働きやすい職場環境の構築や、人材の能力開発について考えることでもあります。企業価値の向上につながり、長期的な視点においては大きなメリットになるでしょう。
大企業との取引先として選定される可能性が高まる
人的資本への関心が高まるなか、大手企業が取引先を選定する際の基準も変化をみせています。投資家が企業のESGの取り組みを注視するなかで、CSR調達に取り組む大企業も多くなっています。
CSR調達とは、品質・価格・納期に加え、調達先のコンプライアンスも評価基準に入れて調達先を選定することです。
こうした流れのなか、大企業は法令や社会規範の遵守を調達先選定の第一条件とし、そうでない企業は排除します。その点、人的資本の開示をしている中小企業は、進んだ取り組みをしているとして安心できるため、取引先として選ばれる可能性が高まるのです。
企業価値を高め人材確保によい影響をもたらす
人材確保は多くの中小企業の課題です。求職者にとっては入社する会社が成長できる環境か、働きやすいかは、就職先を決めるうえで重要な判断基準となります。
しかし、中小企業は、働きやすい環境の整備や人材育成への取り組みが遅れている印象をもたれがちです。人的資本開示に取り組んでいる企業は、人材に対する意識が高く、成長できる環境が整備されているというイメージアップにつながるでしょう。
人的資本開示で要求される7分野19項目
内閣官房が策定した「人的資本可視化指針」には、開示が望ましいとされる項目が定められています。7分野19にわたる項目は以下のとおりです。
分野 |
項目 |
人材育成 |
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エンゲージメント |
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流動性 |
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ダイバーシティ |
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健康・安全 |
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労働慣行 |
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コンプライアンス・倫理 |
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出典:内閣官房 非財務情報可視化研究会「人的資本可視化指針」「人的資本可視化指針」
人的資本開示においては上記の項目を参考に、自社の戦略に沿った取り組みと、数値化した目標を合わせて定めることが求められます。
人材育成
人材育成の分野では「リーダーシップ」「育成」「スキル・経験」の3項目が挙げられています。社員のスキル向上に対する取り組みや、研修の実施状況(実施時間や費用)、リーダーシップ育成のための施策などを具体的に記載します。
経営目標達成のために、人材育成にどのようにアプローチしていくかを、わかりやすく説明することが求められます。
エンゲージメント
エンゲージメントとは、社員が会社に対して抱く愛着や満足度を指します。労働環境や会社の制度、業務内容にどのくらい満足しているか、その度合いを公表します。
測定の方法は、客観的な視点が担保されていることが望ましいでしょう。具体的には外部サービスを利用した、エンゲージメントサーベイの活用が挙げられます。
測定結果と合わせて、エンゲージメント維持や向上のための施策も開示が求められます。
流動性
流動性の分野は「採用」「維持」「サクセッション」の3項目です。
具体的には、採用人数や離職者数(離職率)など雇用に関する数値や、人材の定着化に向けた施策の開示が求められます。
人材確保が多くの企業の課題となるなか、注目されやすい項目といえるでしょう。
ダイバーシティ
ダイバーシティの分野は「ダイバーシティ」「非差別」「育児休業」の3項目です。
具体的には、女性管理職の比率・男性の育休取得率・男女の賃金格差、女性管理職の比率といったデータの提示が求められます。
働き方の多様化が進むなか、ダイバーシティも注目を集める分野となっています。
健康・安全
健康・安全の分野は「精神的健康」「身体的健康」「安全」の3項目です。
社員の健康・安全管理や労働環境の整備、メンタルケアなどに対する施策や成果を開示します。
具体的な数値としては、労働災害の発生件数や発生率、ヒヤリ・ハット事案の件数や社員の欠勤率が挙げられます。
※ヒヤリ・ハット…ヒヤッとしたりハッとするような危険な事案が発生したが、幸い災害は起きなかった事象
労働慣行
労働慣行の分野は「労働慣行」「児童労働・強制労働」「賃金の公正性」「福利厚生」「組合との関係」5項目です。
最低賃金割れや過重労働といった不適切な労働慣行がないか、適性な賃金が払われているかに加え、福利厚生の取り組み状況も開示します。
不適切な労働慣行は社員を疲弊させるだけでなく、企業の社会的信用を失墜させるため、適性に保たれなくてはなりません。
コンプライアンス・倫理
コンプライアンス・倫理は、法令遵守や社会規範に関する項目です。
関係法令を遵守し、社会規範に沿った適切な倫理観に基づいた企業運営がなされているかを示す情報を開示します。
具体的には、ハラスメント相談窓口の設置状況や、内部通報制度の有無、コンプライアンス研修の実施状況などが挙げられるでしょう。
人的資本情報開示に向け押さえるべきポイント
人的資本開示に向けて行動を起こすには、社内体制の整備が必要です。
まず、経営トップが発信し、人的資本の重要性をすべての社員にコミットメントさせましょう。
そのうえで、経営層を中心に十分な議論を重ね、経営戦略と人的資本の活用を密接に関連づけ、施策として現場に展開することが求められます。
定量的なデータの収集
開示する情報に説得力をもたせるには、結果に数値的な根拠が必要です。
たとえば研修の実施時間や受講履歴は、LMS(研修管理システム)を導入すれば、人的コストをかけずに、個人単位でデータを収集できます。
エンゲージメントに関する項目では、サーベツールの導入により、結果をデータとして蓄積できます。開示情報としてだけはなく、さまざまな施策を検討する際の材料としても活用できるでしょう。
「独自性」と「比較可能性」のバランスの考慮
人的資本の開示においては、企業の独自性として打ち出す戦略と、他社との比較材料になる情報をバランスよく盛り込めば説得力をもたせられます。
独自性のある人材戦略は、その企業の強みや成長要因のアピールになります。また、その成果が他社と比較しやすい形で示されれば、優位性を強調できるでしょう。
ステークホルダーにわかりやすい形で情報開示するには、両者のバランスを考慮することが大切です。
「価値向上」と「リスクマネジメント」の視点を盛り込む
開示する項目は「価値向上」に関する項目と「リスクマネジメント」に関する項目を、明確に分けて整理するとよいでしょう。
「価値向上」に関する項目は、企業価値を高めるものとして、将来性をアピールできます。ネガティブな評価を回避するための「リスクマネジメント」に関する項目は、企業の信頼度を高められます。
ステークホルダーの開示ニーズに合わせ、両者をバランスよく組み立てることが理想です。
ストーリー性のある開示情報で説得力をもたせる
開示情報が、ただのデータの羅列では、ステークホルダーの関心を得られません。長期的な視点かつ、ストーリー性のある開示情報が納得度を高めるためには必要です。
たとえば、人材育成に関する戦略を開示する場合、まず、現状の問題点とそれを改善するための施策を提示します。次に、施策を実施した結果、具体的にどのような成果が出たのか数値で示します。そして、その成果が将来的に、どのような好影響を生むのかを説明すれば魅力ある開示情報となるでしょう。
このように、施策の実施前と実施後の改善された状態、そのプロセスを経た将来を示す工夫をすれば、ステークホルダーも興味をもって注目してくれます。
人的資本開示に向けての課題
開示に向けた取り組みをおこなう際には、ステークホルダーの視点を常に意識することを忘れてはいけませんステークホルダーが望んでいるのは、人材育成の方針や人的資本に関する社内環境整備について、リスクと機会、競争優位性が長期的な視点で可視化されているかです。
目標やモニタリングすべき指標を検討し、経営層自ら十分な議論の上で明瞭に発信することが求められます。そのためには、以下の課題を克服する必要があります。
人的資本開示に対する社内認知度の向上
人的資本開示に関する社内認知度の向上が、まず取り組むべき課題です。しかし、上場、非上場企業ともに、人的資本開示の義務化に関する認知度が低いのが現状ではないでしょうか。
リクルート社が実施した、人的資本開示の認知度に関する調査では、調査企業全体で「はじめて知った」と回答した人は49.1%、上場企業に限定した場合でも41.5%と、認知度は決して高くありません。
経営者や人事に携わる人はある程度認知しているものの、一般社員・管理職においては上場企業においても半数以上が「知らなかった」という結果になっています。
出典:株式会社リクルートマネジメントソリューションズ「人的資本開示義務化に関する実態調査の分析結果」
認知度を高めるには、人的資本開示が企業価値向上に貢献し、ステークホルダーや社会全体に対するアピールになることを啓発しなければなりません。
人的資本情報収集のためのリソース確保
人的資本開示の必要性を理解していても、取り組みが進まないのはリソース不足が原因です。リクルート社の調査では、専任スタッフの不在や人員不足から、公開情報の整備が進んでいない状況が伺えます。
出典:株式会社リクルートマネジメントソリューションズ「人的資本開示義務化に関する実態調査の分析結果」
人的資本開示には、経営層も密接に関わる必要があります。そのため、人的資本開示に向けた社内の体制整備では、役員がメンバーに加わるなど、会社を挙げた取り組みとしてリソースの確保が求められるでしょう。
データ収集環境の整備
人的資本の開示においては、客観性のあるデータを示す必要があります。そのため、人事情報が散在している企業では、システムを導入して人事データを一元的に管理できる環境の構築が急務となります。
なかでも、エンゲージメントに関する項目は、サーベイツールを用いて計測するといった施策が必要になるでしょう。
経営層と現場の意識のすりあわせ
人的資本開示の取り組みにおいては、経営層や人事と現場を預かる管理職、実務の担い手である一般社員の意識のすりあわせも必要です。それを示すデータがあります。
出典:株式会社リクルートマネジメントソリューションズ「人的資本開示義務化に関する実態調査の分析結果」
上のデータは、人的資本開示項目に関する経営層・人事と管理職・一般社員の間の認識のギャップを示すものです。特に人材育成の項目については、10%以上の開きがあることがわかります。
このようなギャップは、人的資本への投資を的外れにするリスクをはらむものです。経営層や人事は、管理職・一般社員との対話の機会を設ける必要があります。対話を通じて双方の意識を理解すれば、人的資本への施策に対する理解や共感が生まれるでしょう。
現場の意識を正しく把握することが欠かせない
先のデータからも、経営層の課題感と現場の意識には乖離があることがわかりました。この乖離が解消されない限り、人的資本に対する施策が的外れなものになってしまいます。
人事・経営層と一般層の対話はもちろん必要ですが、その前に組織の状態と社員の意識を確認すれば、対話をより有意義なものにできます。
そのためには、サーベイの実施が有効です。
組織の状態と社員の意識を知ることは、離職の防止やエンゲージメント向上につながる人的資本への有効なアプローチです。また、サーベイの実施そのものが、環境整備の施策としてステークホルダーにアピールできる材料となるでしょう。
Geppoなら開示資料に活用可能
Geppoは、組織の状態と社員の意識を知るのに適したサーベイツールです。
収集した情報は自社の状態を把握し施策に反映するだけでなく、対外的な資料としても活用できます。
Geppoを導入した「テクマトリックス株式会社」は、エンゲージメントサーベイによりeNPSスコアを測定し、同業他社よりも優位なスコアを2023年度の統合報告書に掲載しています。
Geppoは、サーベイの実施結果を公開範囲に合わせて切り分けできるため、社外向けの公開を想定した資料の作成も可能です。
出典:【人的資本経営】従業員エンゲージメント情報のGeppo開示例の紹介
サーベイの実施によるデータの収集から分析、社外公開に向けた資料の作成まで一貫しておこなえるのがGeppoの強みです。
※eNPSスコアとは「Employee Net Promoter Score」の略で、自身が勤務する会社をどれくらい親しい知人や友人に勧めたいかを尋ね「職場のおすすめ度」をスコア化したもの。
まとめ
人的資本の開示は、内外のステークホルダーに企業価値をアピールする機会です。現在は義務化の対象外である中小企業においても、取り組むべき価値のあることです。
しかし、公開できるほど現状が整備されていなかったり、リソースが不足していたりと、さまざまな課題があるなか進めていくのは困難かもしれません。
人的資本開示に向けた取り組みは、まずは組織内の現状を把握することからはじめてみてはいかがでしょうか。
リソース不足を補うには、サーベイツールの活用が現実的な解決手段となるでしょう。
Geppoの導入をぜひ検討してみてください。
【監修者プロフィール】
木下 洋平
合同会社ミライオン
株式会社リクルートや教育研修会社での勤務後、現在は独立した専門家として活動。
キャリアコンサルタント資格を取得し、400人以上の個人のキャリア開発をサポート。
また、企業向けの人材育成・組織開発コンサルティングも手掛けており、個人と組織の両面での支援を行っている。